珈琲 , Jazz & 巡礼と…
※このコンテンツは jazzywada が書いたメルマガ記事を NotebookLM で処理、出力したものです。
※AI音声特有の誤読等たくさんありますがご容赦ください。
元ネタは https://jazzywada.blog.jp/archives/1085542771.html
2002年に発行された**「ふりーはーと」という個人メールマガジンのバックナンバーを中心に、筆者のジャズや書籍に対する深い愛着を綴ったエッセイです。前半では架空の職業を描いた書籍を紹介し、その流れで広島県福山市に実在する隠れ家的なジャズバーの店主や、店への独特な行き方を情緒豊かに解説しています。後半では、相倉久人氏の著作やジョン・コルトレーンのレコード、フォークシンガーの加川良**といった音楽的ルーツを振り返り、過去と現在が交錯する感慨に浸っています。全体を通して、趣味を通じた豊かな人生観と、デジタルツールを活用して過去の記録を保存しようとする筆者の情熱が表現されています。
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F山駅の裏、たこ焼き屋の壁に貼られた「夢の入り口」:実在する“ジャズを売る店”の物語日常の裏側に潜む「もう一つの顔」
見慣れた街角、いつもの帰路。私たちは時折、平穏な日常のすぐ裏側に、まったく別の世界へと続く「秘密の入り口」が隠されているのではないかという、抗いがたい誘惑に駆られることがあります。それは都市の隙間に潜む、知的な遊び心に満ちた境界線です。
クラフト・エヴィング商會の著書『じつは,わたくしこういうものです』を紐解くと、そこには空想と現実が優雅に溶け合う、めくるめく世界が広がっています。本稿では、この書が描く「架空の職業」の美学を入り口に、広島県福山市(F山駅)の路地裏に実在する、ある特別な「ジャズを売る店」の物語へと歩を進めてみましょう。
『じつは,わたくしこういうものです』には、19人の人物とその風変わりな生業が、セピア色の気配を纏った写真とともに収められています。ここに描かれているのは、効率や合理性という物差しを軽やかに飛び越えた「架空の職業」たちです。
たとえば、31歳の女性、鹿島風子が隊員を務める「コルク・レスキュー隊」。彼らの使命は、ワインの栓を抜く際に生じる凄惨な事故から、無垢なコルクを救い出すことにあります。その悲劇は、状態に応じて「(1)ポロポロの悲劇」「(2)ボロボロの悲劇」「(3)グシャグシャの悲劇」の3段階に厳密に分類され、救出後には詳細な「カルテ」が作成されるという徹底ぶりです。
この書が湛えているのは、稲垣足穂の作品にも通ずるような、浮世離れした上品な佇まいです。実用性とは無縁に思えるこれらの仕事は、しかし「もしそんな職業があれば救われるのに」という私たちの密やかな夢を、静かに肯定してくれるのです。
この空想の系譜に連なる「20人目」の職業人が、現実の福山市(F山駅)に存在します。ブルーの看板に白抜きで刻まれた「*OP」の文字。その傍らには、サキソフォンの絵が静かに添えられています。
この店の主であるマスターのKJさんは、昼間は別の顔を持ち、夜になると自転車でこの場所へと現れます。夜8時、看板に灯がともる時、そこは「ショット・バー」という仮面を脱ぎ捨て、その実体である「ジャズを売る店」へと変貌を遂げます。ここで売られているのは酒ではありません。マスター自身の純粋な欲望から生まれた「時間と音量」そのものなのです。
「そこそこ音量を上げてジャズを聴ける場所が車の中の他に欲しかったことですね……それと、ビールが好きなもんですからね、原価で生ビールが呑めるって役得もあるし……」
原価でビールを愉しむという「役得」と、誰にも邪魔されず大音量でジャズに耽溺する空間。それは市場原理から逸脱した、ある種の「幸福な利己主義」の結晶です。「コルク・レスキュー隊」が空想の中で果たした夢を、KJさんは現実の街角で、屈託のない笑顔とともに具現化しているのです。
この店「*OP」へと至る道程は、さながら秘儀を授かるための儀式のようです。新幹線の福山駅を降り、すぐさま店を探すのは無作法というもの。まずは駅裏にある「たこ焼き屋」を訪れるのが、正しい作法です。
狭い店内の小さなテーブルに腰を下ろし、醤油かソースかという究極の選択を経て出される熱いたこ焼きを、缶ビールで流し込む。これはいわば、ジャズの神殿へ入る前の「浄めの儀式」です。ただし、ここで缶ビールを5、6本も空けてはいけません。これから味わう「*OP」の生ビールの輝きを損なわないために。
人心地ついたところで、おもむろに壁を見回してください。そこには、店の場所とコンセプトを暗示する小さなチラシが、暗号のように貼られています。もし辿り着けそうになければ、たこ焼き屋の主人に問いかけてみることです。地元のコミュニティに密やかに共有された「秘密のアクセスコード」を解き明かすプロセスそのものが、日常の中に非日常を創り出す贅沢な体験となるはずです。
「*OP」の店内、アナログLPのジャケットが並ぶ空間で、私はマスターとある奇妙な共通点を見出しました。それは、ジョン・コルトレーンの1966年来日公演を収めた「コルトレーン・イン・ジャパン」という、2枚半組(2.5枚組)という物理的な違和感を湛えた不思議なレコードを、互いに「持っていながら一度も通しで聴いたことがない」という事実です。
文化を所有するということは、必ずしもそのすべてを消費することと同義ではありません。レコードの溝に刻まれた音以上に、そこには司会の相倉久人氏の渋い声、学生時代に読み耽った氏の著作、あるいは「若いこだま」を聴いていたあの頃の空気感が、澱のように沈殿しています。
相倉氏はかつて、フォークシンガーの加川良を「肉体を通して本当の唄をうたえる数少ない『幸福』な歌手」と評しました。いま、時代に取り残されたようなアナログ盤に針を落とす時、そこには「時代錯誤と時間の交錯」が立ち現れ、ある種の心地よい酩酊感がもたらされます。効率を追い求める現代において、この豊かな時間の浪費こそが、大人の知的な悦びと言えるでしょう。
空想の職業図鑑から、福山の路地裏でジャズを鳴らし続ける「*OP」まで。それらを貫いているのは、実利や合理性によって塗り潰されない「夢の余白」を愛でる精神です。
あなたの街の、何気ないたこ焼き屋の壁にも、まだ見ぬ世界への扉が隠されているかもしれません。あるいは、あなた自身の中にも、21人目の新しい職業が眠っているのではないでしょうか。
日常のすぐ隣にある、もう一つの世界を探す旅。それは案外、一杯の生ビールと、一枚の古いレコードが回る場所から始まるものなのです。
空想から漏れ出した「19の奇妙な職業」20人目のプロフェッショナル:福山の夜に灯る青い記号たこ焼き屋を起点とする「秘密のアクセスコード」2.5枚組のレコードが呼び覚ます「時代錯誤の酩酊感」結び:日常に「夢の余白」を残すということ